by shirokuma-akiki カテゴリ
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先週の木曜日から明日まで5日間の予定で帰省した。今回の目的は、弟の結婚式に出席することだ。
昨年末に引越しが住んだ実家の地下には、長いこと保存してある、ともするとガラクタに近いものが、みかん箱等のダンボール箱につまっている。帰宅した父と一緒にピアノの楽譜を探したのであるが、100個以上ある未整理のダンボールのすべてを見ることができるわけでなく、結局10個ほどあけて中を覗いたところで断念することにした。 開けたみかん箱の中から中学校1年のときの「夏休み生活表」なるものが出てきた。 仕事や勉強に関しては計画倒れになりがちな傾向は中学1年の時からすでに始まっていたらしく、かなり気合を入れて用意したと思われる日程表(予定)には、夏期講習、予習、復習、ラジオの英語会話などが記入されている。それでは夏休み中に実際に何をやっていたのか。 毎日の記録をつける欄があって、生活と学習に対してAからCまでの自己評価をすることになっている。これが結構読み返してみると面白い。というか、とほほ。。 7月21日、 「夏休みはじめの日から旅行をしています。ここ萩原はぜんぜん暑くありません。といってもついたのが6時半です。12時間のたびとても面白かった。でも最初の日から学習にCがつくとは。。。。。」(生活A,学習C) 夏休みが始まってすぐに、一人で岐阜県飛騨萩原に住むいとこの家に、東海道本線に乗って出かけた。バスに乗って、総武線に乗って、東京駅から東海道本線に乗って、おそらく多治見かどこかで高山本線に乗り換えた模様。もともと最近消えた湘南電車に乗って祖母の家に行くのが好きだったのであるが、鉄道おたくぶりをいきなり発揮した夏休み1日目。一人で電車に12時間も乗っていったい何をしていたのだろうか。確か当時の国鉄が発行していた、国鉄全線にのるためのブックレットみたいなものを持ち歩いていたきがする。友達と松戸に行ったり、市川駅に遊びに行くのにはいい顔をしなかった両親であったが、飛騨萩原へ12時間在来線一人旅に中学一年の娘を出すところはなんとも。 次の日に下呂温泉にあるいとこの友達かぞくが持っているホテルの巨大な温水プールで2時間泳いだ日はなぜか「本日の学習」欄が体育2時間となっていて、評価欄には学習Aをつけている。 水産試験場に勤務するおじにくっついて回って、理科の自由研究で散々食べまくったあまごとやまめのことを書いたことは記憶にある。飛騨高山でしらべたこと、として、高山の歴史、特産物のことなどをいろいろと調べてある。農作物に加えて、「伝統の味」「地酒」「お菓子」などを写真つきで書いてある。食べ物に関する私の執着心は相当にすごいものだということは、私のみならず周りの人もよく知っているが、中学一年にして「社会の自由研究」でこれを書いていたとは。。そういえば、小学校5、6年の夏休みには、シュークリームを作ってその過程を写真にとって自由研究として提出した記憶あり。 さて、朝のラッシュ時に大久保まで総武線に乗って2週間ほど夏期講習に通ったのだが、そのときの記録は「朝冷房者はいいけど、ラッシュだからねー」などと書いてある。そして、どうやら8月半ばになってからプール熱にかかった模様。 8月13日「一日中寝ていたのでヒマでした。バタバタすると母がおこるし、、、、兄がプール病を背負ってきてから11日たった。弟は大阪(の親戚の家)にプール病をもってった。本当に最悪な夏休みだ。」6日後やっと回復しておきてきた様子。 8月19日「やっとおきられるようになった。だから今日からうごきはじめた。とはいえ本当に大変な風であった。でもやっぱりねてる方がらくかな?」 その後「英語の夏期講習」が始まる。一年生の夏とはいえ、なぜか組み込まれた進度が速いクラスには帰国子女の子達がたくさんいて、ひーひーいいながらついていったきおくがある。 8月24日「英語eatやhaveに関することでてくると私たちはわらいます。なぜって、それは、たぶん空腹のアマリにワライがでてきてしまうのではないだろうか、、、」 都内の私立の受験に失敗して、地元の市立中学校に進んだ私は、2,3年生のクラスで中いい友達を見つけたのだが、そこにいたるまでの1年間は非常につまらなかった記憶がある。都内のいわゆるエリート養成塾のようなところに通い始めたのもこのころで、いろんな意味で刺激を受けた記憶がある。塾の友達の目標は、東大進学、その後、大蔵省に入るといったものであった。。。 さて、夏休みの終わりに近づいて 8月27日「英語の夏期講習が終わった。ワーイといいたいが、宿題が、、、あと社会だけだけどそれが大変な(の)です。夏休みがあと1しゅうかんのびればいいのに。。。とおもっている毎日です。」 そして28日 「理科の自由研究がもうひとつ増えました。というか赤キャベツようえきのはんのうをしらべました。午後、(中略)そのあと父母が住んでいた(かこ)家のあたりに行った。東○本店のすぐそばでした。東○でうなぎ(梅)をたべました。」 生活の中での実験が好きな親に誘われて、赤キャベツ溶液を作って実験したらしい。外食することは年に数回しかなかったので、きちんと生活表にうなぎ(梅)を食べたことが書かれている。これを読んだ担任の反応はいかなるものであったか。今となっては知る由もないが、読み返してみると、おもしろい。 かくしてあききの中学一年生の夏休みは無事に終わりを迎えた(様子)。
by shirokuma-akiki
| 2006-04-24 23:21
| お気楽極楽
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