ハノイお気楽極楽食道楽国際公務員あきき日記
2007-06-13T03:37:11+09:00
shirokuma-akiki
6年をすごしたニューヨークを後にして、2006年の9月半ばにヴェトナムのハノイにやってきました。国際機関での仕事、できごと、見たもの、食べたものを書いていく予定です。 あきき
Excite Blog
ホーチミンでクラブ活動、、とおもったら
http://akikobuta.exblog.jp/5883779/
2007-05-13T03:33:00+09:00
2007-06-13T03:36:45+09:00
2007-06-13T03:36:45+09:00
shirokuma-akiki
お気楽極楽
ほかの二人より一晩早くホーチミン入りしたLと私、一日目の夜にドンコイ通りにあるゲイの男のこがたくさん集まるというSというバーに行くことにした。ハノイより食べ物がいいのか、ちょっと体格がよくって、しかもおしゃれなそれっぽい男の子がたくさん。ライスクイーンじゃないLDは、自分がライスクイーンだったらこの瞬間どんなに幸せだったかと、嘆く。ハノイに比べたら音楽のセンスも、インテリアも20倍ぐらいよい。お金が集まるところはちがうのね。飲み物も一杯7万ドンぐらい。(4−5米ドル)ハノイのちょっとしたホテル並み。ハノイでいつもへテロワールドにつきあってもらっているので、(っていうか選択肢がないのだけれどね)「きょうはどこまでもゲイバーにつきあいますよ。」とLDに宣言!
明日は、サプライズショーがあるからまたおいで、といわれたので次の日もいってみた。この日は前日にほかの友人を通してあったヴェトナム人のL ちゃんというハノイから遊びにきている女の子も一緒に出かけた。彼女は日本企業に勤めていて、日本語と英語がとても上手。バーがかなり混んで来て、LDと私が2杯目を楽しんでいる頃にLちゃんは登場。11時ちょっとすぎだったので、まだしばらく時間があるから、とりあえずここで一杯ということになった。前夜に比べてかなり混んでいて、年齢層は10代後半から40半ばぐらいまでか。欧米人(白人)も数人見かけたけれど、ほとんどがヴェトナム人(かほかのアジア人)。女性はちらほら。。
Lちゃんが飲み物を受け取ってしばらくすると、突然音楽が止まって、照明が明るくなった。お客さんがどんどんドアの方に歩いていくのだが、そちらを見ると警察が。Lちゃんが、「げ、せっかく飲みもの買ったのに。でも外に出よう。」という、「了解、のみもの持ったまま外に出ようよ。」ということで、グラスを手に持ったままドンコイ通りにでることに。LDは「僕はここにいて、何がおこるのかを見ている」という。まあ外国人はどうにかなるのかもしれないけれど、こういうときに限ってヴェトナム人に勘違いされる恐れがあるので、わたしは外に出ることにした。MSM(男性とセックスする男性)のグループの全国組織化のサポートとエイズ対策(予防治療など)でMSMの役割と位置づけの強化はLDの仕事の一部なので、不当なゲイバーの摘出が行われているのかを確認したい、という所なのだろう。
道路から2階にあるバーの方を見ていると、どうやらただ単に閉鎖されたらしい。別に捕まっている人がいるわけではなさそう。しばらくしてLDが下りてきた、今回の手入れの理由はよくわからないけれど、もしかしたらこのバーがゲイバーだからかもしれない、と
マネージャーがいっていたとのこと。
このあとハノイから来た二人も合流してほかのクラブに行ったのだが、そこに先ほどSで遊んでいた男の子たちがたくさん来ていた。「今日はSが閉められちゃったから、こっちにたくさんゲイが集まったね。」といっていた。誰でもこられるという訳ではないけれど、Sのようなところが閉められてしまうのは、なんだか。。もう2、3週間経ったから開店しているのかな。後で行ったこのクラブの方が外国人相手のセックスワーカーがたくさんいて、どうすりゃいいの、という感じなのにね。。
ところで、ここには警備員の人が何人かいてかなりアグレッシブに人を押して歩いている。みんなが踊っているところでも警備員の兄ちゃんが1段高いところからみんなの行動を監視。(警備員っていうか監視員)ヴェトナム人の若いカップルがいちゃいちゃしながら踊っていたら、兄ちゃんが早速台から下りて、二人の間に割って入っていた。あまりのスピードにあぜんとした。頭にくるのは、ヴェトナム人セックスワーカーが、日本人をも含めた外国人といちゃいちゃしながら踊っているのに対しては、何も言わないこと。
いったいセックスワーカーはこのバーに大していくらお金を払っているのだろうか。。
ホーチミンを出て、ムイネーについてから、ハノイのnew centuryというディスコで一斉摘発があった、というニュースを読んだ。2度だけいったことがあるが、趣味の悪いハウス音楽に合わせて、踊りの下手なヴェトナム人の金持ちがとりあえず動いている、というのが印象。それに加えて外国人と金持ち相手のセックスワーカーがうろうろしている。人がたくさん入っているのに、「ダンスフローア」にはテーブルがあって、そこで金持ちそうなヴェトナム人がカミュとかジョニーウォーカーとかを飲みながらフルーツプレートを食べている。踊る場所に近いところで座って高級なのみののを飲める、というのがステータスらしい。なんか日本の20年ぐらい前の「ディスコ」だね、というわけで、ここでも「ディスコ」という表現が的確かと。
というわけで、ハノイでディスコ摘発、というニュースを読んで「あききは大丈夫か?」と思った皆様ご安心を。。わたしは今日も元気です。おにぎり
http://viet-jo.com/news/sanmen/070502044801.html]]>
ホーチミンでクラブ活動、、とおもったら
http://akikobuta.exblog.jp/5883774/
2007-05-13T03:33:00+09:00
2007-06-13T03:34:52+09:00
2007-06-13T03:34:52+09:00
shirokuma-akiki
お気楽極楽
ほかの二人より一晩早くホーチミン入りしたLと私、一日目の夜にドンコイ通りにあるゲイの男のこがたくさん集まるというSというバーに行くことにした。ハノイより食べ物がいいのか、ちょっと体格がよくって、しかもおしゃれなそれっぽい男の子がたくさん。ライスクイーンじゃないLDは、自分がライスクイーンだったらこの瞬間どんなに幸せだったかと、嘆く。ハノイに比べたら音楽のセンスも、インテリアも20倍ぐらいよい。お金が集まるところはちがうのね。飲み物も一杯7万ドンぐらい。(4−5米ドル)ハノイのちょっとしたホテル並み。ハノイでいつもへテロワールドにつきあってもらっているので、(っていうか選択肢がないのだけれどね)「きょうはどこまでもゲイバーにつきあいますよ。」とLDに宣言!
明日は、サプライズショーがあるからまたおいで、といわれたので次の日もいってみた。この日は前日にほかの友人を通してあったヴェトナム人のL ちゃんというハノイから遊びにきている女の子も一緒に出かけた。彼女は日本企業に勤めていて、日本語と英語がとても上手。バーがかなり混んで来て、LDと私が2杯目を楽しんでいる頃にLちゃんは登場。11時ちょっとすぎだったので、まだしばらく時間があるから、とりあえずここで一杯ということになった。前夜に比べてかなり混んでいて、年齢層は10代後半から40半ばぐらいまでか。欧米人(白人)も数人見かけたけれど、ほとんどがヴェトナム人(かほかのアジア人)。女性はちらほら。。
Lちゃんが飲み物を受け取ってしばらくすると、突然音楽が止まって、照明が明るくなった。お客さんがどんどんドアの方に歩いていくのだが、そちらを見ると警察が。Lちゃんが、「げ、せっかく飲みもの買ったのに。でも外に出よう。」という、「了解、のみもの持ったまま外に出ようよ。」ということで、グラスを手に持ったままドンコイ通りにでることに。LDは「僕はここにいて、何がおこるのかを見ている」という。まあ外国人はどうにかなるのかもしれないけれど、こういうときに限ってヴェトナム人に勘違いされる恐れがあるので、わたしは外に出ることにした。MSM(男性とセックスする男性)のグループの全国組織化のサポートとエイズ対策(予防治療など)でMSMの役割と位置づけの強化はLDの仕事の一部なので、不当なゲイバーの摘出が行われているのかを確認したい、という所なのだろう。
道路から2階にあるバーの方を見ていると、どうやらただ単に閉鎖されたらしい。別に捕まっている人がいるわけではなさそう。しばらくしてLDが下りてきた、今回の手入れの理由はよくわからないけれど、もしかしたらこのバーがゲイバーだからかもしれない、と
マネージャーがいっていたとのこと。
このあとハノイから来た二人も合流してほかのクラブに行ったのだが、そこに先ほどSで遊んでいた男の子たちがたくさん来ていた。「今日はSが閉められちゃったから、こっちにたくさんゲイが集まったね。」といっていた。誰でもこられるという訳ではないけれど、Sのようなところが閉められてしまうのは、なんだか。。もう2、3週間経ったから開店しているのかな。後で行ったこのクラブの方が外国人相手のセックスワーカーがたくさんいて、どうすりゃいいの、という感じなのにね。。
ところで、ここには警備員の人が何人かいてかなりアグレッシブに人を押して歩いている。みんなが踊っているところでも警備員の兄ちゃんが1段高いところからみんなの行動を監視。(警備員っていうか監視員)ヴェトナム人の若いカップルがいちゃいちゃしながら踊っていたら、兄ちゃんが早速台から下りて、二人の間に割って入っていた。あまりのスピードにあぜんとした。頭にくるのは、ヴェトナム人セックスワーカーが、日本人をも含めた外国人といちゃいちゃしながら踊っているのに対しては、何も言わないこと。
いったいセックスワーカーはこのバーに大していくらお金を払っているのだろうか。。
ホーチミンを出て、ムイネーについてから、ハノイのnew centuryというディスコで一斉摘発があった、というニュースを読んだ。2度だけいったことがあるが、趣味の悪いハウス音楽に合わせて、踊りの下手なヴェトナム人の金持ちがとりあえず動いている、というのが印象。それに加えて外国人と金持ち相手のセックスワーカーがうろうろしている。人がたくさん入っているのに、「ダンスフローア」にはテーブルがあって、そこで金持ちそうなヴェトナム人がカミュとかジョニーウォーカーとかを飲みながらフルーツプレートを食べている。踊る場所に近いところで座って高級なのみののを飲める、というのがステータスらしい。なんか日本の20年ぐらい前の「ディスコ」だね、というわけで、ここでも「ディスコ」という表現が的確かと。
というわけで、ハノイでディスコ摘発、というニュースを読んで「あききは大丈夫か?」と思った皆様ご安心を。。わたしは今日も元気です。おにぎり
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ホーチミンでクラブ活動、、とおもったら
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2007-05-13T03:33:00+09:00
2007-06-13T03:37:11+09:00
2007-06-13T03:37:11+09:00
shirokuma-akiki
お気楽極楽
ほかの二人より一晩早くホーチミン入りしたLと私、一日目の夜にドンコイ通りにあるゲイの男のこがたくさん集まるというSというバーに行くことにした。ハノイより食べ物がいいのか、ちょっと体格がよくって、しかもおしゃれなそれっぽい男の子がたくさん。ライスクイーンじゃないLDは、自分がライスクイーンだったらこの瞬間どんなに幸せだったかと、嘆く。ハノイに比べたら音楽のセンスも、インテリアも20倍ぐらいよい。お金が集まるところはちがうのね。飲み物も一杯7万ドンぐらい。(4−5米ドル)ハノイのちょっとしたホテル並み。ハノイでいつもへテロワールドにつきあってもらっているので、(っていうか選択肢がないのだけれどね)「きょうはどこまでもゲイバーにつきあいますよ。」とLDに宣言!
明日は、サプライズショーがあるからまたおいで、といわれたので次の日もいってみた。この日は前日にほかの友人を通してあったヴェトナム人のL ちゃんというハノイから遊びにきている女の子も一緒に出かけた。彼女は日本企業に勤めていて、日本語と英語がとても上手。バーがかなり混んで来て、LDと私が2杯目を楽しんでいる頃にLちゃんは登場。11時ちょっとすぎだったので、まだしばらく時間があるから、とりあえずここで一杯ということになった。前夜に比べてかなり混んでいて、年齢層は10代後半から40半ばぐらいまでか。欧米人(白人)も数人見かけたけれど、ほとんどがヴェトナム人(かほかのアジア人)。女性はちらほら。。
Lちゃんが飲み物を受け取ってしばらくすると、突然音楽が止まって、照明が明るくなった。お客さんがどんどんドアの方に歩いていくのだが、そちらを見ると警察が。Lちゃんが、「げ、せっかく飲みもの買ったのに。でも外に出よう。」という、「了解、のみもの持ったまま外に出ようよ。」ということで、グラスを手に持ったままドンコイ通りにでることに。LDは「僕はここにいて、何がおこるのかを見ている」という。まあ外国人はどうにかなるのかもしれないけれど、こういうときに限ってヴェトナム人に勘違いされる恐れがあるので、わたしは外に出ることにした。MSM(男性とセックスする男性)のグループの全国組織化のサポートとエイズ対策(予防治療など)でMSMの役割と位置づけの強化はLDの仕事の一部なので、不当なゲイバーの摘出が行われているのかを確認したい、という所なのだろう。
道路から2階にあるバーの方を見ていると、どうやらただ単に閉鎖されたらしい。別に捕まっている人がいるわけではなさそう。しばらくしてLDが下りてきた、今回の手入れの理由はよくわからないけれど、もしかしたらこのバーがゲイバーだからかもしれない、と
マネージャーがいっていたとのこと。
このあとハノイから来た二人も合流してほかのクラブに行ったのだが、そこに先ほどSで遊んでいた男の子たちがたくさん来ていた。「今日はSが閉められちゃったから、こっちにたくさんゲイが集まったね。」といっていた。誰でもこられるという訳ではないけれど、Sのようなところが閉められてしまうのは、なんだか。。もう2、3週間経ったから開店しているのかな。後で行ったこのクラブの方が外国人相手のセックスワーカーがたくさんいて、どうすりゃいいの、という感じなのにね。。
ところで、ここには警備員の人が何人かいてかなりアグレッシブに人を押して歩いている。みんなが踊っているところでも警備員の兄ちゃんが1段高いところからみんなの行動を監視。(警備員っていうか監視員)ヴェトナム人の若いカップルがいちゃいちゃしながら踊っていたら、兄ちゃんが早速台から下りて、二人の間に割って入っていた。あまりのスピードにあぜんとした。頭にくるのは、ヴェトナム人セックスワーカーが、日本人をも含めた外国人といちゃいちゃしながら踊っているのに対しては、何も言わないこと。
いったいセックスワーカーはこのバーに大していくらお金を払っているのだろうか。。
ホーチミンを出て、ムイネーについてから、ハノイのnew centuryというディスコで一斉摘発があった、というニュースを読んだ。2度だけいったことがあるが、趣味の悪いハウス音楽に合わせて、踊りの下手なヴェトナム人の金持ちがとりあえず動いている、というのが印象。それに加えて外国人と金持ち相手のセックスワーカーがうろうろしている。人がたくさん入っているのに、「ダンスフローア」にはテーブルがあって、そこで金持ちそうなヴェトナム人がカミュとかジョニーウォーカーとかを飲みながらフルーツプレートを食べている。踊る場所に近いところで座って高級なのみののを飲める、というのがステータスらしい。なんか日本の20年ぐらい前の「ディスコ」だね、というわけで、ここでも「ディスコ」という表現が的確かと。
というわけで、ハノイでディスコ摘発、というニュースを読んで「あききは大丈夫か?」と思った皆様ご安心を。。わたしは今日も元気です。おにぎり
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ティエンザン省カイライ郡での開会式
http://akikobuta.exblog.jp/4389554/
2006-10-21T10:46:00+09:00
2006-10-21T10:48:07+09:00
2006-10-21T10:48:07+09:00
shirokuma-akiki
仕事
ミトーから2時間程度のカイライ郡が今回の出張の目的地らしいことは、ミトーに到着してから、つまりカイライ郡に行く前日にわかった。ここのHIV陽性者を対象としたクラブの開会式に出席するのが目的のひとつだった。
カイライ郡のコミュニティーセンターの2階の一部屋を使って、このクラブは開かれることになっている。1階では視覚障害者がかごを編んでいたり、音楽教室が開かれていた。
開会式には、陽性者の代表3人、省女性連合の副代表、郡人民委員会の副代表、お坊さん、今回の開会式に合わせてこのクラブに寄付をした地元のプライベートセクターのおじさんたち、そしてうちの事業管理の担当者とハノイから出向いた我々。「リボンを切ってくれってことがあるから、いいはさみを持っていったほうがいい。」とハノイの友達が冗談でメールを送ってきてくれていたのだが、どうやらそれはなさそう。ある程度は覚悟していたが、「前に座ってください。」といわれたのだが、「言葉もわからないし、同僚のBさんと一緒だったら。」ということで引き受けた。
このクラブを開けることに関しての共産党(それとも人民委員会からだったか)からのお知らせのようのなものが読み上げられ、それを運営委員の5人がありがたく受け取ったり、そのほかに今後このクラブをどうやって運営していくのか、陽性者からの言葉、両親がエイズで亡くなった陽性の少年を支えるおばあさんからのお話があった。
このクラブの説明で一番よくわからなかったのは、いったいこのクラブが、HIV陽性者のためにあるのか、それとも一般市民が情報を得るためにあるのかというところ。うーん。
陽性者が少ないこの郡で自分のステータスをオープンにしている陽性者が少ないのは差別・偏見が多いから、というのはわかるにしても、ステータスをオープンにすればそれで本当に差別偏見がなくなるのか、そして陽性者の生活の生活の質は向上するのか。この開会式でそんなことを聞いてもしかたがないので、後でこのプロジェクトを実施している 省女性連合のひとに聞いてみよう。
ハノイに比べて田舎は朝が早い、という同僚Bちゃんの言葉どおり、8時から始まった開会式は10時には終了、「お昼ご飯にしましょう。」ということで郡人民委員会の食堂のようなところに呼ばれて、会食。お巨大なタッパーウエアーのような入れ物が二つテーブルの上に並んでいて、そのうちひとつに白いご飯が山盛り入っている、そしてもうひとつにはスープらしきものが、よく見ると底に魚が沈んでいる。味付けは昨晩の鍋物とほとんど同じ-甘酸っぱい系。オクラ、モヤシ、キャベツと青梗菜の親戚のようなもの、トマト、パイナップルが入っている。
そして途中から小さなグラスが回り始め、こちらのテーブルにも小さなグラスを持った郡人民委員会副代表がやってきた、遠慮するBちゃんをさしおいて、「それでは私がー」ということでグラス半分のなんだかわからないアルコールをいただく、残りの半分は副代表のおじさんが。振り返ると男性がほとんどの隣のテーブルの人たちは顔が赤くなっている。このお酒にいったい何が入っていたのかはなぞだが、特に後から具合が悪くなったりしなかったので、大丈夫だったのだろう。
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ティエンザン省 ミトー
http://akikobuta.exblog.jp/4389556/
2006-10-20T10:49:00+09:00
2006-10-21T10:49:33+09:00
2006-10-21T10:49:12+09:00
shirokuma-akiki
仕事
ミトーまではホーチミン市から3時間ぐらい、そしてそこから2時間ほどの町などにプロジェクトの視察とモニタリング(?)に出かけて無事に戻ってきました。
ミトーから比べれば、ハノイはかなり都会だ。]]>
7年前にゲアン省で~
http://akikobuta.exblog.jp/4389569/
2006-10-17T10:51:00+09:00
2006-10-21T10:52:06+09:00
2006-10-21T10:51:37+09:00
shirokuma-akiki
お気楽極楽
まあそれはともかく、驚いたのは、某霞ヶ関にお役所の新しい担当者のかたが、「日本はグローバルファンド(GF)にお金をたくさんつけているんだから、どこかの国で日本のNGOがそのお金を受け取れないだろうか。」という相談(提案?)があったそうな。
え?大体GFが各国に落としているお金の規模を見るとたとえば、ヴェトナムは1200万ドルをエイズの分野で4年前に受け取っている、タンザニアはそれより一桁多い。で、それをいろいろな組織や団体に分けるのだが、基本的には現地の省庁や団体がまず優先で、そこのキャパシティーがないときは国際NGOが受け取ることもある。国によって、この決定方法は非常に曖昧で政治的なところも多いのはまあよくある話だが、そこで日本の国際NGOが入っていける余地があるか。個人的には能力が高い人がいるし、いいプロジェクトをしている組織もあると思うが、残念ながら、アメリカやイギリスのNGOに比べて政府のバックアップが少ないので、大規模のプログラムに参加した経験があるNGOがあまり多くない。途上国のNGOの人件費はサポートしても、日本の国際NGOの人件費、事務所運営費のサポートをせずに、いきなり100万ドルのプログラム〔もしくはプロジェクト〕をとってこい、って結構めちゃくちゃじゃない?
それだったら、GFのお金がきちんと使われているかをモニターする部分にもっと日本の人を送り込むとか、基金申請書を審査する技術グループに入る日本人をサポートする(もしくはその育成をする)とか、いろいろとやり方はあると思うけど。確かにほかの大口拠出国は発言力も大きいので、数少ない1票国の日本の顔が見えてこないことに対するジレンマはわかる気もするけど。
でも、ここでいう「顔が見える」っていったいどういうことなのか?というのはまた今度。
PS:食事をしたレストラン、どう考えてもMSGがたくさん入っている気がするけど、気のせい?朝起きるだるいし、したが麻痺しているような。 ]]>
『来週の火曜日は公休日です。』
http://akikobuta.exblog.jp/4389583/
2006-10-16T19:53:00+09:00
2006-10-21T10:54:14+09:00
2006-10-21T10:53:54+09:00
shirokuma-akiki
お気楽極楽
同僚各位:
来週の火曜日〔10月24日は〕公休日であることをす。El Al-Adhaの日です。
総務部
ーーーーー
こういうメッセージはいつでも何度でも、というかんじです。]]>
地方出張!
http://akikobuta.exblog.jp/4389580/
2006-10-16T10:52:00+09:00
2006-10-21T10:53:12+09:00
2006-10-21T10:53:12+09:00
shirokuma-akiki
仕事
先週の始まりごろにエイズ担当の現地スタッフBが「あきき、来週はティエン・ジャン省に行くよ。」え?そんな?とつぜん?今週は、東京から友達が仕事をしにやってくることになっている、しかも私の仕事関係者に会って、来年学生を研修旅行につれてくる準備をしよう、ということになっている。
「え?突然?来週?」ということで、東京からやってくる友達を一緒に連れて行けることを条件に、「急な出張の許可を取る」準備を開始。うーん。こんなことで大丈夫なのかしら??で、出張先でやることは、まずは内の組織のパイロットエリアにある陽性者グループのサポートセンターの開所式への出席と、2006年残り3ヶ月のワークプランをつくること。
私たちのワークプランまだなんですけどー、といいたいのをぐっとこらえて、まあフィールドでどういうことが起こっているかを見るのもいいかな、ということにした。
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expat 外国人駐在員?
http://akikobuta.exblog.jp/4389600/
2006-10-15T13:57:00+09:00
2006-10-21T10:58:16+09:00
2006-10-21T10:58:16+09:00
shirokuma-akiki
未分類
ニューヨークでももちろん外国人だったけど、あれだけいろんな人がいると誰が外国人かわからないし、社会経済的にも、特別なカテゴリーもなくまあミドルクラスのアメリカ人のどこかのクラスターに入るのだと思う。アメリカ駐在の国際公務員は私ぐらいのレベルだと特権もほとんどなく、その中でも使えるのがお酒などを持ち込める量が少し多いくらいだったと記憶している。
Expatという言葉は、もとのexpatriateは国外居住者、国外駐在員などといった意味だが、実際には「国外駐在員」として使われることが多い。ニューヨークでは、「会社が手当てをたくさんつけて派遣した国外駐在員や外交官」をさしていることが多かったような気がする。というわけで、家賃補助は少しは出ていたけど、全部会社が払っているわけではなかったし、アメリカ人の周りの人の認識では、私は別にExpatではなかったらしい。
ハノイに来ると、外国人はみなexpat、じつはこれはほかの国でもそうなのだろうか。
週末にほかの国際機関で仕事をしているひとにさそわれて飲みに行ったが、あ、これはexpatコミュニティーだな、とおもわれるシーンに遭遇した。アゼルバイジャンに引っ越した韓国系アメリカ人夫婦は「アメリカではまったく会わないと思うような人と一緒にご飯を食べたりして、これはこれで新鮮だ。」といっていた。
ハノイのExpatコミュニティーにはアジア人はほとんどいない、私が行ったところは、基本的には年齢層26歳から40歳ぐらいの比較的若いグループが集まるところだったが、ヴェトナム人の友達〔女〕をつれている白人の男性と外国人と遊びたい若い外国人の男女が数人といったところか。
アジア人expatは私と、数日前に会ったお母さんがヴェトナム人お父さんがポーランド系アメリカ人でアイオワで生まれたAぐらい。ハノイにももちろんビジネス関係で駐在している人はいるのだろうと思うけど、なぜかほとんどが援助機関勤務者で、スタッフ、ボランティア、インターンと雇用形態はいろいろらしいが、オーストラリア人、アメリカ人、フランス人が多いのかな、という気がする。高飛車な人もたくさんいて、よくニューヨークで「フィールドボケ(フィールドでいい暮らしをしたり、扱いを受けたりして自分はすごい偉い人だと思ってしまう人たち)」が生まれるのまあわかるかな、という感じだった。 気をつけよう。〔でもね、これだけ仕事で雑用を押し付けられると、「いい扱い」、という感じはほとんどしないけど。〕
初めて会った人に根掘り葉掘り聞くのが好きな人も多くて、ちょっと辟易とする。「この人たち私のことどうでもいいと思っているんじゃないのかな、とおもった。」と友達が言うほど、そういうことをあまり聞かなかったけど、結局ながいこと付き合いのあったニューヨークの友達が懐かしい。
日本人のハノイ在住の人たちともあった、ベトナム語が上手な人が多くてびっくりだったし、結構日本人はいるはずだけど、なぜか個性豊かな人たちが集まっていて、面白かった。この15年ほど日本で飲み会にほとんど参加してないし、日本で大学時代、いわゆる新入社員時代というものをすごしてないから、新鮮なのかも知れなけど。援助関係者だけでない、というのもいいのだと思う。
というわけで、住まい探しもそうだけど、新しい土地に行くと、居心地のいい場所というか位置をさがすっていう作業もあるのね、とおもった。それにしても、expatバーの飲みもの、カクテルは一杯4万ドンとか5万ドンとかもある。高すぎ。4万ドンってフォー4杯じゃない! Make it REALLY strong, please!と思わず言いたくなる。
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内容更新中
http://akikobuta.exblog.jp/4279464/
2006-10-07T14:03:57+09:00
2006-10-07T14:03:57+09:00
2006-10-07T14:03:57+09:00
shirokuma-akiki
others
9月半ばに無事にハノイ到着、ハノイでの生活が始まりました。
ほかのフォーラムで書いている内容を少しずつこちらに移動していく予定です。今しばらくお待ちください。
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リンカーンセンターーGoran Bregovic
http://akikobuta.exblog.jp/3819526/
2006-07-15T23:26:00+09:00
2006-07-15T23:26:55+09:00
2006-07-15T23:26:55+09:00
shirokuma-akiki
お気楽極楽
途中から会場の少しずつ人が立ち上がって踊り始めて、終わり近くでは7割以上の人が通路まででて踊っていた。ステージの近くには人だかりができていて、そこでも踊っている人がたくさんいる。
会場係が最初は「通路で踊らないように」、と踊っている人に通路から席に戻るようにと指示をしていたのだが、途中であきらめた模様。
会場にいる周りの席からも、スラブ系の言葉が聞こえていた。
旧ユーゴ諸国はもちろんとして、ブルガリア、ウクライナ、ロシア、ハンガリー語を話している人がいたらしい。
なんだか、バルカンづいているこの1週間だが、ベトナムの次の赴任地はきっとバルカンだよ。といううわさも(冗談ですが)
昨日のコンサートの様子は、NYタイムズにもかかれています。
http://www.nytimes.com/2006/07/15/arts/music/15gora.html]]>
Exit Festival
http://akikobuta.exblog.jp/3819555/
2006-07-15T23:08:00+09:00
2006-07-15T23:31:07+09:00
2006-07-15T23:31:07+09:00
shirokuma-akiki
仕事
国民による反ミロシェビッチの抗議運動が広がる中、学生による反体制の抗議運動のひとつとして、しかし、多くの若者をひきつけるために「政治色」をできるだけ薄くした「音楽」にひきつけられて約2万人の若者があつまってきたという。
それがこの6年間に少しずつ変わってきて、数年前からはかなり大規模なものになってきた。というわけで、アーティストも旧ユーゴ諸国から(主にセルビア、マセドニア、クロアチア)のアーティストに加えて、イギリスやアメリカから参加している。
ノビサードという町のはずれにある、大きな砦のなかに、15以上のステージが設置されていて、大きなダンスアリーナでは3,4万人が小さなステージでは数十人がDjのセッションで踊ったり、バンドの演奏を聴いたりしている。
夜の6時ぐらいから始まって、延々と朝の8時ぐらいまでイベントが繰り広げられていて、それも同時進行なので一体何を見に行ったらいいのやら。今回はピア教育のトレーナーで以前からやり取りのあった3人がこのフェスティバル直前に開かれていたトレーニングにスタッフとして参加するために、トルコ、ボスニア、マセドニアからやってきていたので、その3人、実際はボスニア人とマセドニア人の二人からローカルDJバンドに関するブリーフィングを受けた。
ラッキーなことに私は時差ぼけなので、夜行性の今回の出張は結構大丈夫そう。
(以下まだまだ続く)]]>
Exit Festival - MTV Stage
http://akikobuta.exblog.jp/3819529/
2006-07-14T23:27:00+09:00
2006-07-15T23:27:37+09:00
2006-07-15T23:27:37+09:00
shirokuma-akiki
仕事
今回は若者の就労がテーマなので、ステージの横に3つほど現地のNGOブースが並んでいて、そこで各団体が自分たちの活動のPRをやっている、それと同時に、その団体に属する若者たちが、MTVステージのボランティアとして、おそろいのTシャツを着て、小さなパンフレットを、会場のいたるところで配っていた。 これはいったいどういう効果があるのか?
来年のテーマはおそらくトラフィッキング、人身売買といったことになると思うので、それを「需要」(買う側(主に男性)「供給」(単純に海外就労だと思っていったところ、強制的にセックスワーカーにさせられてしまう主に女性)双方をターゲットにしてどのように、知識普及また啓発をすることができるのか。課題は山のようにあることがわかってきた。これは、ニューヨークに戻ってから、もう少しよくつめないといけない、ことが(予想はしていたものの)わかってきた。
今回のMTVステージはDJイベントなどをやっている合間に、若者の就労に関するメッセージを入れ込んでいっている、のと、DJイベントのバックグラウンドになっている大きなロゴは、セルビア・クロアチア語でDoing something?というメッセージになっている。
で、その前のすてーじでThe Cuban Brothersというとても面白いDJグループのセッションがあった。前から名前は聞いたことがあったのだけど、実物を見るのははじめて。
DJのキューバ系イギリス人のおじさんは、CD、レコードを使って、懐かしい曲そしてオリジナルの曲(?)をかける。そのおじさんの弟(兄?)という人が歌手で歌を歌う。それにあわせて、ダンサー二人が踊ったり、コーラスをしたりするのだけど、そのうち一人がなんと、アフロのウィグをつけた日本人だった。「kengo-san」ということで紹介があった。
飛び入りのブレークダンサーのジャミングがあったり、と盛りだくさんで、音楽のジャンルはいったいなんだろう?と思ったけど、今回の目玉だけあって、かなり人がたくさん入っていた。「下見中」のわたしは、時間よりかなり早くに行ったので結構いいところからみることができた。
最後はDJのおじさんだけが一人で2,30分まわしていたのだが、そのときにケンゴさんが舞台の片付けもかねてまた登場。アジア人は珍しいので、「日本人?」という質問からはじまって、ステージの脇ではなしをした。ケンゴサンは横浜出身で、ロンドンに移る前は、千葉駅の前のモノレールの下で踊っていたそうだ。来年もまたセルビアにくるだろうといっていたので、来年は私たちがメッセージを持ってくるので、それをうまく伝えるのを手伝ってもらうことになると思う。と、とりあえず伝えておいた。
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Exit Festival - The Pet Shop Boys
http://akikobuta.exblog.jp/3819540/
2006-07-14T23:20:00+09:00
2006-07-15T23:28:39+09:00
2006-07-15T23:28:39+09:00
shirokuma-akiki
仕事
彼は「このフェスティバルにはほとんどゲイの人がいないね。」という。どこの国か忘れてしまったけど、旧ユーゴ諸国のどこかでゲイの兵士を取り上げた映画が何年か前にあったと思う。その映画を取り上げたブログには非常にホモフォビックなコメントがたくさんかかれていた。セルビア人の友達がセルビア語のところも訳してくれて、それもゲイバッシング名内容だったのを覚えている。という話をした。
あとは音楽の種類もあるかも。とういことで、「ペットショップボーイズに行けば、たくさんいるかも、だからいこうよ。」というと、「そうだね」と納得していた。
で、ペットショップボーイズですが、ほかのビッグネームは遠くしか見ることができなかったので、今回は気合を入れて、前のバンドが終わる30分ほど前に会場に到着。前のほうも結構すいているので前から5列目ぐらいのところに場所を確保。
あたりを見回すと、結構それっぽい人が(って、ニューヨークでよく使われているゲーダーが。。)隣に並んだかわいい男の子二人組みは、「君たちどこからきたの?僕たちセルビアのゲイで~す。」とKに興味津々。トルコ人と日本人が15万人の中にどれぐらいいたのかわからないけど、かなりの少数派というのは事実。。 「なるほど、くるところにくると、少ないけど、ゲイの男の子がいるね。」と納得するK。
ペットショップボーイズの最近の曲はほとんど知らないので、どうだろう、と思っていたけど、実際始まってみると、昔懐かしい曲のオンパレード。かなりこった舞台装置と、男性ダンサー二人、それからディバってかんじのアフリカ系の女性シンガーもいて、楽しませてもらいました。 ]]>
富士山ー結婚式
http://akikobuta.exblog.jp/3819506/
2006-04-25T23:23:00+09:00
2006-07-15T23:23:57+09:00
2006-07-15T23:23:57+09:00
shirokuma-akiki
others
大学の途中で日本を離れてしまったことと、その後帰国してからからの進学先、勤務先、ボランティア先などで親しくなったのが、留学生、既婚者(既離婚者)、セクシャルマイノリティー、様々なアクティビストがほとんどだった。そのためか、巷で言うところの「日本の結婚式」に参加したことは、3度しかない。 そのうち1度はうちの兄の結婚式、そして2度目は兄の親友の結婚式であた。3つ目はまったく親交が途絶えていた高校時代の友人に頼まれて保険会社に勤める彼女と、地方銀行に勤める彼の結婚式に参加する羽目になった。3つともキリスト教式で、最後のひとつは、地方都市にあるカトリック教会で行われた。これは大変申し訳ないが、私にとっては知らない人、銀行系や体育会系サークルの友達のドンちゃん騒ぎとつまらないスピーチ満載で、部外者の私にとっては、かなり苦痛であった。そのほかには友人の披露パーティーという楽しい席に参加したこともあるが、機会がなかったこともあって、「結婚式」というものをわすれていた。
弟とお相手のAさんの結婚式は、人前式で参加者は親戚以外は友達10人程度、披露宴の代わりに親戚食事会ということだったので、かなりリラックスして出かけることができた。また、礼服できてはいけないことになっていたので、これもまた気が楽だった。
式当日の土曜日、時差ぼけのために5時に目が覚めた、カーテンを開けると快晴になりそうな様子。部屋の窓から芦ノ湖の後ろに大きな富士山が見える。早速、1キロほど山を登って箱根峠までいく、途中でもっと大きな富士山が見えた。その後も峠を降りて、元箱根の公園のほうに出かけたり、湖畔を歩き回り、いろいろな角度から富士山を満喫した。
Aさんは私と同じ3人兄弟の真ん中、(私に比べて)静かで優しくて、さりげなく気が利く、弟は(これを読んでいると思うけど)大変幸せものであるとおもう。心配していた結婚式は、司会者の声と話し方がいわゆる結婚式の司会者のそれらであった。しかし、それ以外はあまり形式的過ぎず、ブーケ・ブートニアの儀式では、弟が几帳面さを発揮してかなりきれいなブーケを作り、式自体は富士山をバックグラウンドに二人のこだわりが伝わってくるこじんまりとしたものだった。
天気もよくて、食事もおいしく、当の二人はあまり飲まないお酒もおいしく、富士山も珍しく夕方まで姿を隠さず、たいへんよい一日だった。
おめでとう。
つけたし:
弟がつくって、Aさんに渡したブーケは、お食事会が終わって、私のところに。。。 アメリカの映画に出てくる結婚式では、これを新婦が投げて、これを受け取った女性が次に結婚することになる、といういわれている、あのブーケである。
Aさんからこれを受け取って手にもっていると、いつもはかわいい姪のHの大反対にあった。「あききおばさん、この花束はAちゃんのだから、返してあげないといけないんだよ。あきき伯母さんがもらっちゃだめ。。」
お食事会に出た親一同で6歳の姪Hと私だけが未婚女子〔女性〕だったので、私のところにこのブーケがやってきたのだが、Hにここまで反対されるとは。。
結局Hが私の手からブーケをとって、丁寧にAさんに返却してくれる始末。 ]]>
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